母乳とミルクとバッグ
PCBによる母乳汚染の実態をつかむべく、厚生省が調査を始めるとの記事を読み、授乳中の母親の一人として、大変ショックでした。 赤ちゃんにとって、母乳は最大の栄養源と信じつつ、生後百日になる子供に、母乳を与えております。先日の『四季録』を読み、とてもうれしく、ほっとしました。 母親が努力しても出ないのならともかく、努力すれば出るのに、あえてミルクを与えるなど、とんでもないと思います。
ゴクン、ゴクン―のどをならし、一心に母親の顔をみつめてお乳をのみ、時々にこっと笑う笑顔が、私はとても好きです。だくとお乳のにおいがして、ほおずりをしたくなります。
夜、おふろから上がり、両のお乳がからになるほど、たくさん飲んだわが子は、いつか目をとじて、すやすや眠ってしまいます。朝まで、ぐっすり眠るこの子のおかげで、私もぐっすりやすむことができます。
それにしても、もう幾年前のバスの中での、一人の若い奥さんのことばを、私は今も忘れられません。
年の瀬もせまったある日。町へ買い物に出た帰りのバスで、私と同じ所で乗ったその人は、若くて、チャーミングな、すてきな奥さんでした。つぎの停留所で乗った、その人のお友だちでしょう、二人は、友だちの話やら、子供の話をしていました。
ふと、そのお友だちが、その人のバッグに目を止め、
「あら、○○さんこのバッグすてきネ。どこで買ったの?」と、バッグの話になりました。
チェックの大きい、すてきなバッグでした。
その奥さんは、
「ああ、これね。ミルクのラベルがあるでしょう。あれ送ってもらったのよ」。
「あら、じゃあ、あなたお乳出ないの?」。
「うん、出ないこともなかったんだけどね。めんどくさいし、それにミルクのラベル二十枚ためたら、こんなすてきなバッグがもらえるんですもの」。
向かいの座席で聞いていた私は、驚きました。
なぜかそのすてきな奥さんが、とてもとてもあわれに思えたのでした。
昭和四十七年六月二日 愛媛新聞「てかがみ」掲載
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