三男と柔道

三男の机の上に置いてあるプリントに、ふと目をおとした私は、おもわずほほえんでしまう。
「ねりかんブルース」の曲に合わせて作ったのでしょう。三男のH校柔道部の歌詞は......

    

好きで始めた訳じゃない
嫌いで出来よか柔道が
すねの蹴り傷、打ち身傷
傷も今では、百余ヶ所

可愛い、あの娘に会った時
思わず隠した、この耳を
なんでしたのか、柔道を
けれども、これが勲章さ

    

青春を完全燃焼できる一つのものがあるということは、何てすてきなことだろうか。
ふと、私の高校時代を振り返ると、運動神経の鈍い私はもっぱら、石坂洋次郎、有馬武郎、武者小路実篤に陶酔し、当時「葦」の月刊誌に投稿しながら過ごした三年間は、二十七年経た今でも、走馬灯のごとく思い返すことができる。

    

だけど三男のように全身全霊打ち込める青春にはとてもかなわない。
成人した時、きっと三男の脳裏には、柔道に打ち込んだ、あつい思いが珠玉のごとく、光輝いてほしいし、一つのステップとして、大きく羽ばたいてほしい。

八十数キロの彼に、私は時々用事以外にも「あっ君」と、声をかける。
「母ちゃん、なに?」と、にっこり笑って、答える彼の笑顔がたまらなく好きだからである。

    

昭和六十年十月五日 夕刊うわじま「ゆうかん手鏡」掲載

   

   

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