子育て日記

手が届かないと知りつつ、雑誌やテレビのマイホームに憧れながらも、なぜか長屋の一隅のわが家に愛着をおぼえる。
やはり貧しい生活の中で、一生懸命育てた息子たち四人と、私たち夫婦の息吹が、においが今もこもっているからなのだと思う。

   

お彼岸のおはぎを作りながら、四人の息子たちに、「春のボタンの花咲くころはぼたもち、秋の萩の花咲くころはおはぎというのよ」と話しながら、ナベについたあんこを指でつついてほおばりながら話した。
大きなおナベで、豆をいったのも、ついこの間のようだった気がする。

   

長男も結婚し、良き伴侶を得、うれしい春である。
四人の子育てで、とても家を建て替えることはできなかった。
子供たちにも独立した勉強部屋もなかった。
貧しさの中で、心の貧しい子にならないように―それだけを心して育てた。

   

制服以外の私服は、Tシャツだけ。
どこへ行くのも学生服。先日の長男の結婚式にも、三男、四男は丸坊主の学生服で出席した。
ビデオもなければ、ステレオもない。でも、だれ一人子供たちが、買ってほしいと口に出さなかった。

   

高校時代の長男、二男、そして今三男も丸坊主。もちろん中学生の四男もしかり。
『林理容店』?ならぬ父親のバリカンさばきも、年期が入り、会社が定年になったら、丸坊主専門理容店を始めようかと、笑えるほど腕も上達?した。
未完成の私たちが、子育ての中で学び、教えられたことは数えられない。
何もかも恵まれた生活の中での、子育てでなかった。ハングリーな生活の中で、知恵と辛抱を教えたような気もする。

   

これから、二男、三男、四男とそれぞれが良き伴侶を得たら、私たち夫婦の子育ても終わる。
そしたら、夫婦の胸の奥に、いっぱい、いっぱいしまっている大切な子育てのページを、夫とともにひもときながら、大切に心あたためていこうと思う。

   

昭和六十一年三月十五日 夕刊うわじま「ゆうかん手鏡」掲載

   

   

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