お勉強
学生時代も、家庭に入っても、随分本は読んでる方だと自負していた。
近ごろふと気がつくと、本もいいかげんに読んでいるのに気がつき、あぜんとした。
漢字も書くのはもちろん、完全にお手上げで、ちょっと、むずかしくなると全然だめ。
読む方も同様、今までついつい前後の文章から解釈して、ああこうなんだなと、自己流に読んでいた。
ところが五十歳近くになり、人生の半分も過ぎてしまうと、「これではいけない。少しでも知ることは大事なことだ」と、反省するようになった。
まず、本を読む姿勢を変えないと、一生損をするんじゃあないかと考えるようになった。
それからていねいに、ていねいに読むことにした。漢字を辞書で調べ、意味を調べるうちに、本当に、本当に自分の不勉強さが情けなく恥ずかしくなってしまう。
無知なことの何と多いことか。
四人の子供たちに、これでは十分なことを教えられなかったと、成人した息子たちに心の底からわびる。学ぶということ、知るということの大切さを、子育てが終わるころ反省するとは情けない。
今からでも遅くないかもしれない。少しずつ好奇心をかき立てて、頑張ってみようと思うようになると、何だかとても新鮮な、驚きさえ感じるようになった。
「さあ、お勉強しよう!」という私のセリフを、夫も息子もきっと「いつまで続くのかな?」と、みているんじゃあないだろうか。
昭和六十三年七月四日
愛媛新聞「てかがみ」掲載
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