おばちゃん、ちょうだい
夏休みに入り、一週間ほど松山に遊びに行っていた小二の息子を迎えに行った帰りの車中で、毎日あっちこっち、遊びに連れて行ってもらって、楽しかったこと、広いプールでおもいきり泳いだこと、外食をたびたびしたことなど、いろいろ話してくれる。
「よかったね、もっといて、おじいちゃん、おばあちゃんたちにいろいろ連れて行ってもらったら」
「もうたくさん行ったからいいよ、やっぱり僕の町が好き!」
「どうして?」
「だって松山は、―おばちゃん、○○ちょうだい―って行く店がないんだもの、大きなスーパーでほとんど買い物するんだよ」。
そういえば、子供のいう通りだなって思いました。
スーパーに入れば、一言も口をきかなくても欲しい物をカゴに入れ、特売、目玉商品、たくさんの品物、一度に買い物もすませるし便利です。
わが家の近くには比較的いろいろなお店がそろっています。
毎日の買い物は近くのお店でほとんど用が足りますし、子供にちょっとした買い物を頼みます。
「おばちゃん、○○ちょうだい」って声をかければ、「あら、きょうはおつかいえらいナー、松山は楽しかった?デパート行った?道後は―」といっぱい、言葉を返してくれます。
以前、なにかの本で、都会から九州の田舎に転勤になった主婦が、翌日近くのお店で水にいっぱいはいった豆腐に驚き、「半丁でもお分けしますよ」といった店の人の言葉に、一ぺんにこの土地が好きになったと、書いた文を読んだことを思い出します。
キュウリ一本、ナス二本、タマネギ三個なんて必要なだけ買えるお店が、たくさん近くにあることは、幸せだあと思っています。
子供の「おばちゃん、ちょうだい!」の言葉に、あたたかい日だまりを思いおこしました。
昭和五十二年八月二十二日 愛媛新聞「てかがみ」掲載
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