貧しくとも
近ごろ働く主婦がふえてきました。
視野を広く社会に向けることは本当にすばらしいことだと思います。
また生涯をかけても悔いない、生きがいのある仕事をしていらっしゃる女性も数多くおられると思います。立派な生きかただと思います。
だけどその半面、本当に生活に困って働かなければならない人よりも、より豊かな生活を求め働く人も少なくないことを新聞で読んだことがあります。
末っ子が、いつだったか「母さん、クラスで家族調べをしたら、僕が一番だったよ」と報告してくれました。
発育ざかりの四人の男の子と、年老いた母をまじえ、わが家は七人家族である。夫一人の働きで生活しているわけだから、いきおい生活も質素でつつましいものである。
「働こうかな」って言ったら、夫が「どうしても生活できなければだけど、つつましくて生活できるんなら、家にいてくれ。成長ざかりの四人の男の子たちに、将来悔いることがあったりしたら、それこそ苦しむから」と―。
戦前の中古のわが家には、子供部屋だって一人一人与えることもできないけど、四人ともわが家の経済を知ってるから、だれも文句を言わない。
服だって親類や知人、近所からのおさがりがほとんどである。
きれいに洗って、つくろって子供たちはそれがあたり前のようになってしまった。
貧しくとも、子供の心の中まで貧しいとは決して思っていない私である。
『がまん』することも大切な一つだと思う。
古い家でも、きれいに掃除して、子供たちを「おかえりなさい」とあたたかく迎えてやり、心をこめて料理をすることは妻として、母として大切なことだ、と夫は力説する。
いつだったかの新聞で、「物は貧しくても、親の温かい目があれば、子供は決してすさみません」という記事を読んだことがある。夫も私もそれを、心から信じているものである。
昭和五十四年三月十五日 愛媛新聞「てかがみ」掲載
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