晩秋のころ
病院の窓から外を眺めながら、家々の明かりがともるころが、一番さびしく、つらい時間であった。三年前、胃の手術で入院したころの思い出だ。
当時、長男は高三、末っ子の四男が小四であった。
四人の男の子に心がかりながら、八十日間の入院生活の中で、夕ぐれ時が無性に人恋しく、せつなく思えたことはなかった。
胃や腸や、さまざまの手術をした人の病室で、優しく言葉をかけて下さった人が、亡くなった時など、本当に切なく涙したことだろう。
あれから、もう三年も過ぎ、元気であることが、こんなにも幸せか、と一日一日が大切に思えてならない。
当時、高三、高二だった二人の息子も、今は社会人となり、小四だった四男も中学生になった。三年の年月は、子供とともにまた私をも成長させてくれた。
高三だった長男の大切な進路選択の時期に、病室の窓からどうか彼の望む道に就職できますよう、幾度祈ったことだろう。希望通りの道に進め、今、彼は派出所勤務の明け暮れの中にいる。
さまざまの病気で入院生活を送っておられる患者さんの中にも、当時の私と同じように、晩秋の窓を眺めていられる方もいらっしゃるだろう。
坂村真民氏の詩の一節に「自分が置かれたところを喜び、その場で自分なりの花を精一杯咲かせること」とあるように、私も精いっぱい名もない花を咲かせたい、とつくづく思う。
昭和五十九年十月二十七日 夕刊うわじま「ゆうかん手鏡」掲載
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