滑床
『子供たちを年に数回、大自然の中に連れて行ってやろう』私たち夫婦の考えである。
この夏もつい先日、親子そろって久しぶりに滑床をおとずれた。
二人の子供は大喜び、バスから見る移り変わる景色をあくことなく見つめている。緑が美しい。
若い人の多いキャンプ場で私たちのように子供連れは少ない。楽しそうな若人の笑い声や歌声になんだか急に若返ったよう。
バンガローを借りる。二畳足らずの小屋の中には、相合い傘あり、○○高有志とか○○部とか、さまざまの落書きがあり、青春の一コマ一コマの思いが残され、思わず楽しくなる。
子供はすっかりこの赤い屋根の小さな小屋が気に入ったらしく「いいな、いいな」を連発している。清流のせせらぎと緑に囲まれ、私たち夫婦も子供もごきげんである。雑草のにおいもなつかしい。
めまぐるしい、スピード時代の世の中に、子供たちに豊かな心、情緒的なものを与え求めるのは難しいかもしれないけど、この大自然の中で子供たちが伸び伸びとたわむれている姿に本当に心楽しくなる。
海水パンツになり、清流の岩のあいだの浅い所で水遊びに興じている子供たち。
主人の腕にぶらさがり水の中で、キャーキャーとさわぐ声が岩の上にすわっている私の耳にはいってくる。
来年は一晩泊まろう。
バンガローにロウソクをともし、ハンゴウごはんを、子供たちに食べさしてやろう。
それともテントを借りてキャンプをしようかな。
主人と二人、来年のことをいうと鬼が笑うといいながらも話はつきない。
子供は帰りのバスの中で、私と主人に一人ずつもたれかかって眠ってしまった。
どうかこの子供たちにとってきょう一日が楽しい思い出として、幼い心にともってくれますように。
昭和四十三年九月五日 愛媛新聞「てかがみ」掲載
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