このごろ思うこと

先日の四季録の花の季節を読み、小泉教授のいっておられることに深く共鳴いたしました。
めまぐるしく移り変わる現代に、私のようなのんびりさんは頭の切り換えにとまどってしまいます。

   

先日、主人と三人の子供づれでお墓のそうじに行きました。
駅のすぐ近くなのに、お墓のまわりは自然のまま。うれしくなりました。

昔、子供のころママゴト遊びをした花や草、ヒューと鳴る草ぶえ、耳にもっていくとチリンチリンと音のした草。
名もない雑草の中で三人の子供を囲んで、お母さんの子供のころはこうしたのよ、とかお父さんの子供のころはこうだったと話して聞かせると、子供は目をかがやかせて聞いています。

   

何もかも便利になり、文化が進歩した現代。
しかし、その半面心と心のつながりや、うるおいや、いたわり、情緒も何もないさびしい人間に、なりはしないでしょうか。
義理も人情もだんだん薄れてしまいがちです。3C時代も去り今はもっと豪華な物を要求している時代です。

カラーもクーラーもカーもわが家ではほど遠い存在。
主人が「会社へ自転車で通っているのは、僕とだれとだれと数えるほどしかいない」なんて笑っていました。
せめてこんな時代、子供にだけは心のかさかさした人になってほしくない。心豊かな人になってほしいと願うのは無理でしょうか。

   

夕食がすむと、近くの遊び場に散歩します。子供といっしょにブランコやスベリ台をするのです。子供はいろいろ楽しいおしゃべりをしてくれます。学校のこと、友だちのことなど。母として幸せなひとときです。

夜八時を過ぎたらテレビは見ないことになっているわが家では、ふとんの上がプロレスのリングになったり、頭をひっつけて大きな声で歌います。

三人の子供のやすらかな寝息が聞こえると一人一人の子供のことを思いめぐらしながら、どうか神様心安まるあたたかい人々がみなぎる世の中になりますように。

   

昭和四十五年五月 愛媛新聞「てかがみ」掲載

   

   

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